第256話について

第256話 重臣失脚


まずマンガの注釈をここに転記しておきます。

  • ※慶長大判:慶長6年から登場。庶民が見る機会はまずない。
  • ※定:現代なら条例という感じ。
  • ※『伊達治家記録』にはないが、片倉家の史料には慶長6年5月に政宗が景綱に屋代景頼家臣の庄子隼人を討ち取るよう命じた書状写しがある(『片倉景綱関係文書』白石市 2013)。討ったのは片倉家臣佐藤大学兄弟。慶長11年冬と合わせると屋代の家臣を伊達家中が成敗するのは少なくとも2回目。
  • ※結城秀康:徳川家康の次男。結城家には屋代の妻の兄弟三人が奉公していた。 
  • ※屋代は結城家のはからいで住むところは得て、四十六歳で病死。

イントロで慶長大判の登場です。
日本の経済が変わってきたことが垣間見えます。
なお余計な話ですが、小判って、チャリーンとは鳴りません。比重が重いのでドスッという感じです。
時代の変化は領地支配の在り方にも反映しました。

その一端を今マンガに描いてみました。
すてきな政宗を描くのであれば飛ばしてしまった方がいいでしょうが、ここは、郷土史の転換点のひとつとして書きとどめておこうと思いました。

屋代の事件は、この時期に御小人衆に関してとか百姓について、町民に対しての定がどんどんできていくことと関わっていると思いますが、1ページでとても追えませんでした。
興味を持った人が研究してくれるのを待ちます。

成田一平の逃げ回ったのは西公園のあたりのようです。
崖が深いので、川を渡っては逃げられません。
五郎八の婚礼の時に片倉家の姿が江戸にないのですが、こっちの事件に関わっていたからではないかとも想像しています。

第212話 南の防衛線にも出てきますが、角田接収をしたのも屋代です。屋代をして粗暴な殺し屋と書いた文章もありますが、それは当たらないと私は考えます。岩出山城代を務めたほどの人が、時代の変化についていけなかった、中世から近世への変化がそれほど激しかったのだと考えています。