第319話について

第319話 航跡


※『戦国日本と大航海時代』(平川新 2018 中公新書)256頁「慶長遣欧使節は、戦国大名型外交が終焉し、近世的な徳川外交体制が確立する直前に現れた、転機の時代を象徴する事業でもあった」。
※支倉の遺物については仙台市史特別編『慶長遣欧使節』(2010)に詳しく載っている。

寿庵が南部領への追放という形で仙台領を去ります。 「その様子は非常に楽しげであったとされる」とは、『十六・十七世紀イエズス会に本報告集第Ⅱ期3巻』所載、佐々木徹氏による「後藤寿庵」にある文章。
宣教師としては迷いのない信仰の喜びを表したかったのでしょうが、実際はどうだったでしょう。
厳冬の広瀬川でキリシタンが水責めにあって殉死するのは寿庵が仙台を去った直後です。

少なくとも寿庵は政宗に対して反抗をあらわにし、幕府の介入を招いたり、自ら殉教を招くようなことはしませんでした。しかし棄教はしなかったと思われ、その後の南部領では、寿庵が布教をしていたらしい痕跡があります。

さてソテロ。
慶長遣欧使節を大いに混乱させた人ではありましたが、最後は殉教します。
殉教とはとてもたいへんなことです、と、支倉を調べに行った長崎の二十六聖人協会の結城了吾神父から言われた言葉です。

そして支倉。
彼の持ち物の中に、聖遺物入れがあり、中に軽石のようなものが入っていた、というのは、聖遺物を持ち帰っていたのでしょう。聖餐入れもあります。
支倉さんは、教会を持つことを教皇から特別に許されていました。
後に支倉家の周囲からキリシタンが見つかります。
支倉も棄教してはいなかったのでしょう。

外交する権利とは、独立した領主の権利です。
個々の大名が外国と外交をする時代が終わったのです。

そこで、次の時代のための城が計画されます。
若林城です。